雑記、戯れ言、懺悔のように

思ったことはそのままに書き散らします。

ゲームやってて思ったこと

・しばらく前に買っていたヴァルキリードライブ ビクニを最近やっと終わらせることが出来ました。改めていいます。頭おかしいよ。なにあれ。すぐ脱ぐし、すぐちゅっちゅするし、すぐ脱ぐし。そういうのすき。

 

しかしこの手の作品は、作中に一切男性を登場させないところに強く男性の存在を感じさせるというか。こうキャラクターとしての男性が登場してる訳じゃなくて目線が男性だっていうか。

なんとなく女だらけの中に男性性がちらついてしまって純粋に楽しめない自分がいます。

 

なんというかですね、こうも巨乳や露出みたいな男性向けサービスを意識させられると、そういうサービスを受け持っている女の子のキャラクターが男性の理想の投影に見えてくる気がします。

女の子がベタに理想的すぎて、こんな女いねぇよ!!ってなる。そして、それは誰にとってのベタか、って視点を持ってしまうとその奥に男性の意図と存在が見え隠れしてしまって、純粋に目の前の女の子を楽しめなくなる、といいますか。

 

極端な話、男性向けに特化した女の子は、そのキャラを構成する要素が男性による男性のための要素でいっぱいであり、それらが象徴するのはもはや「男性の求める女性性」ではなく、「女性性を求める男性性」にシフトしてしまうので、もうこれは本質的には男なんじゃないかって。

 

……いき過ぎた爆乳ってさ、あれはもはやおっぱいじゃなくて、おっぱいを求める男根の体現なんじゃね?って話。

 

つまり女の子がいちゃついている男性向け作品は女の子がいちゃついているように見えて男がいちゃついているホモ作品なんじゃないかって。

 

そんな思いが頭をよぎってしまうと、もう大変。

 

女の子が4人くらい集まってわちゃわちゃするだけの萌えアニメはホモアニメにすり替わり、画面の奥で繰り広げられる溢れんばかりのおっぱいサービスカットは、サービスを繰り出す男と視聴者の男とのメタホモカットになってしまう。

 

……女の子の女の子たる所以とはなんなのでしょうか。僕にはもうなにがなんだかわからないよ…………。

 

この論調でいくと、女性によって生み出される女性のためのホモ作品は女性の求める男性ではなく男性を求める女性の象徴なのでえっちなビッチに見えてくる。

 

……ちょっとホモ本買ってきます……(??)

 

 

追記:ビクニのキャラは満腹丸が好きです。